病気から学んだこと

胃ガンが教えてくれた、本当に大切なものを見つける4つのステップ

記事の中身をさらーっと紹介ガンから学んだ人生観についてです。
胃ガンは僕たちから多くのものを奪っていく代わりに、残ったものの大切さに気が付かせてくれます。僕の人生にとって本当に大切なものが「家族」と「時間」だということを、胃ガンは教えてくれました。胃ガンになって希望を持てずにいる人が、前向きな希望を持つきっかけとなるような内容です。

はじめに。失うことで見えてくる「本当に大切なもの」

こんにちは、ぽこパパです!

突然ですが、みなさんは、『生きる意味』について考えたことはありますか?
(アヤシイ勧誘とかではないので、肩の力を抜いて読んでくださいね!笑)

人間にとって、「生きている」とは、どんな状態でしょう。
心臓が動くこと、呼吸していること、栄養を摂って成長すること、社会の中に存在すること、死んでいないこと・・・。

もちろんどれも間違いではありませんが、僕は、「生きている」とは「自分で考えていること」だと思っています。

お昼ご飯に何を食べるか。
今日は傘を持って出掛けるか。
何時から働くか。
誰と生きていくか。
何のために生きていたいか。

自分の頭を使って考えることこそが「僕が生きている」ことの意味です。
なぜなら、考える根拠になっている経験や記憶は、僕だけが持つもので、 動物やロボットはもちろん、ほかの誰も僕と同じように考えることはできないからです。

もちろん、みなさんにとっても、ほかの誰かにとっても同じことが言えます。
その人だけが持つ経験や記憶に基づきながら、自分の頭で考える。それこそが、「その人が生きる意味」だと僕は思っています。

……と、なぜ突然こんな哲学みたいな話を始めたかというと、僕が「生きる意味」をはっきりと持てるようになったのは、25歳のときに胃ガンを患い死すら覚悟した経験があったからという話を紹介したかったからなんです。

ちょっとおかしなことを言うようですが、 ガンを患う前よりも今の方が生きていることをよっぽど強く実感しています。
さらにおかしなことを言うようですが、 「ガンになって良かった」と思うことすらあるのです。

「胃にガンがあります」と告げられた日から、とても多くの感情を経験し、さまざまなことを考えました。その中には悲しいこともありましたが、幸せなことも多くありました

胃ガンは、僕から胃のほとんどと、好きだった仕事、お腹いっぱい食べる贅沢を奪っていった代わりに、人生で本当に大切なものは何かを考えるきっかけを与えてくれました。

胃を切除してから合併症が起こり、普通の会社員として働くことは困難になりました。
だから、「働く場所」「働き方」「働く意味」について考えるようになりました。

合併症や再発リスクへの不安もあります。寿命100歳時代の中、人より長生きするのは難しいかもしれません。
だから、時間に限りがあることを知り、その価値について考えるようになりました。

病気をして初めて、いつか自分も看取られる日がくることに気が付きました。
だから、その日まで誰を大切にして、何を成し遂げて何を残していきたいかを考えるようになりました。

ガンは命を奪うこともある嫌な病気です。もちろん、誰もならない方が良いに決まっています。
けれど、もしあなたがガンになってしまったとしても、けっして『不幸な人生』にはなりません
もしあなたの周りの誰かがガンになってしまったとしても、けっして『かわいそうな人生』ではありません

胃ガンになって落ち込んでいる方、身近な人が胃ガンを患い希望を持てずにいる方にとってこの記事が、「人生において大切なものを考える」糸口になれば良いなと思います。

ステップ1:フタをして見えないふりをしている「不満」に向き合う

「明日地球が滅亡するとしたら何する?」なんて例え話をしたことはありませんか?ガンを告知されたときの僕の心境はそれに似ていたかもしれません。
「近いうちに、死にますよ」と言われているような気さえしました。

落ち着いてしばらくすると、一つの強烈な問いが頭に浮かんできました。

このまま死んで良いんだっけ…?

ふだん、人生の終わり、ましてや「自分の人生が終わるとき」を想像する場面は多くないと思います。
よければ、少しだけ想像してみてください。
ガンではなく、地球滅亡の日でも、寿命をまっとうする数十年後の未来でも良いですが、「もう長くは生きられないとき」の心境を思い浮かべてみてください。

そのとき、どんなことを思うでしょう。

どんなことを懐かしみ、いつのことを後悔し、誰の身を案じ、何に未練を感じるでしょう。

それまで生きてきた道のりに満足して、心穏やかに目を閉じるでしょうか
それとも、思い残したことを数えながら、涙を浮かべてそのときを迎えるでしょうか

胃ガンを宣告され、死の瞬間を思い浮かべた僕がどう思ったかというと・・・
ぜっっったい、穏やかになんか死ねない」でした(笑)

だって、「人生の中でこれを成し遂げた」と胸を張れることもないし、かといって諦めがつくほど挑戦しきったものだってない

失敗して人生に「キズ」がつかないよう、やりたいことに何かと言い訳をつけて先延ばしにしてきたこと。
いつからか社会や世間が決めた枠組みの中でしか生きられなくなっていたこと。
『命を大切に』『道を踏みはずさないように』・・・ そうしているうちに、「自分の人生を生きている」実感が持てなくなっていたこと。

いつの間にかフタをして、見えないふりをしてきた『不満』にそのとき初めて気が付きました。
それらへの気付きこそ、人生で本当に大切なものは何か考えるようになったきっかけでした。

ステップ2:数年後、数十年後も大切かどうかを考える

みなさんは小さなころ、何か宝物はありましたか?
僕は、公園で拾ったきれいな小石を宝箱にしまって、大切にしていました。ヒーロー変身ベルトや三輪車、ロケット鉛筆やスポーツシューズ・・・宝物はどんどん増えていきました。壊したり無くしたりすれば、涙がにじむほど悲しくなりました。
当時の僕にとっては、それらは「本当に大切なもの」でした。

ですが、今では小石の形も三輪車の色だって思い出すことはできません。
「本当に大切なもの」だと思っていたものは、「僕の人生で本当に大切なもの」ではありませんでした

それを踏まえて大人になった現在について考えてみると、似たようなことが言えるかもしれません。
日ごろ大切にしているものが「人生で本当に大切なもの」かどうか、先入観にとらわれずに見直してみることができそうです。

例えば、仕事は?お金は?周囲からの評価は?
それらは、時が経ったあとも大切なものでしょうか。
将来今より多くのお金を持ったあとも、高い地位についたあとも、家庭を持ったあとも、死ぬ間際になっても変わらず大切なものでしょうか。

当たり前にあるものについて一度見直してみると、新しい気付きがあるかもしれません。

ステップ3:大切なものの「替わり」を考える

時間の経過によって「大切なもの」の価値が変わりうることはステップ2で話しましたが、人生で本当に大切なものを考える上で、「替わりがあるか」ということも一つの基準になります。

例えば、今みなさんが見ているパソコンや携帯電話、指にはめている指輪、マイホーム、通帳の預金。これらはとても高価で「大切なもの」ですよね。
ただ、極端な話、これらがすべて壊れたり無くしてしまっても、なんとか生きていくことはできると思いませんか?
たとえばパソコンが壊れればネット喫茶を使えばいいし、どうしても不便なら新しく買い換えることだってできます。

今大切だと思うものが「自分の人生にとって本当に大切であるかどうか」を考えたいときは、頭の中で、それらを一度壊したり無くしたつもりになってみると良いかもしれません。
「まぁ無くても工夫すればなんとかなるかな」「それだけは無くしたら生きていけない!」など、それがどれほど大切なものかが分かりやすくなると思います。

ステップ4:「自分にとって大切か」を考える

これが最後のステップです。
大切なものが、「自分にとって大切なのか」「一般的に大切なのか」も考えてみましょう。
ここでは、『貯金』を例にして考えてみたいと思います。
(お金の話について詳しくはこちら⇒【ガンになって気付いた】お金の価値観の話)

小さいころ、おこづかいやお年玉をもらうたびに、「無駄遣いはダメよ。貯金は大切だよ」と、両親からよく釘を刺されました。
似たような経験を持つ人も、きっと少なくないと思います。

大人になった今、「貯金は大切」という言葉についてもう一度考えてみると、「たしかに」とうなずける部分と、首をかしげてしまう部分があります。
特に、子どもにお金の価値を伝える言葉としては間違っているような気すらします。

なぜなら、僕たちにとって大切なことは、通帳のケタを増やすことではなく、お金を正しく使うことだからです。

では、誰にとって「貯金は大切」なのでしょうか。
結論を端的に言うと、銀行や政府です。
戦争に必要な費用を国民から銀行に集めるために「ぜいたくは敵だ」と広め伝えたところから、「貯金は大切」という考え方が国民に根付くようになりました。

「日本人は貯金が好き」というイメージがありますが、元々は投資が盛んな国です。
江戸時代、世界で初めて『先物取引』の仕組みが作られたのは大阪の堂島米市場ですし、
現在世界中の株式取引などで当たり前のように使われている『ローソク足』は、「相場の神様」と呼ばれる本間宗久という日本人が作り出したものです。

貯金文化は、国民が「貯金は大切だ」と言って築いた文化ではなく、政府によって作られた文化と見ることができます。

少し難しい話に脱線してしまったので一度整理しますが、僕たちにとって大切なことは、「お金を貯めること」ではなく「お金を正しく使うこと」です。
『貯金』は、『投資』『消費』『融資』などさまざまな使い道があるうち、あくまでその一つです。
そう考えると、お金をどう扱ったら良いかが変わってきます

ただお金を減らさず集めておきたいなら、タンスにしまって鍵をかけておけば十分でした。
一方、お金をどう使えば自分の人生が良くなるか考えようとすれば、判断材料を持つために、お金について勉強することが必要になってくるはずです。
お金を手に入れる意味、使う意味を知って、正しい使い方を考えなければいけません。

考えた上でやはり『貯金』が一番良い使い道だと判断するなら正しいと思いますが、「貯金は大切」と言われた言葉を妄信し、自分にとってのお金の価値が分からなくなってしまうのは正しいとは思えません。

お金の話が長くなってしまいましたね。ぽこパパも現在少しずつ勉強中です。
(お金の話について詳しくはこちら⇒【ガンになって気付いた】お金の価値観の話)

本題は、「一般的に、あるいは社会的、道徳的に大切なもの」と「あなたにとって大切なこと」は異なる場合があるということでしたよね。

「一般的に大切なこと」ばかりに目が向いていると、「自分にとって大切なこと」が見えなくなってしまうことがあります。
「いじめやパワハラを受けて自殺をした」というようなニュースを見ると、ルール、キャリア、世間体、評価など社会的に大切なものではなく、自分にとって大切なもののために逃げてほしかったなと残念に思います。

大切だと思っているものが「自分にとって大切なのか」を見直してみると、何か新しく気付くことがあるかもしれません。

終わりに。失うというのは、大切なものが残ったということ。

いかがだったでしょうか。 今回は、人生で大切なものを見つけるための4つのステップを見てきました。

  • ステップ1:フタをして見えないふりをしている「不満」に向き合う
  • ステップ2:数年後、数十年後も大切かどうかを考える
  • ステップ3:大切なものの「替わり」を考える
  • ステップ4:「自分にとって大切か」を考える

ちなみに僕がこの4ステップを経て「人生で本当に大切」だと思っているものは、「家族」と「時間」です。
できないことばかりの僕を許してくれる妻(ぽこママと呼ぶことにします。笑)と子どもがいるから、僕が僕らしく生きることができています。
これまで「一般的に大切なこと」(評価、キャリア、マナー)のために
自分の時間を切り売りしてきた生き方を見直し、家族とより多くの時間を過ごせる生き方を模索中です。

胃ガンを宣告されたあと、僕はたしかに多くのものを失いました。
ですが、それは見方を変えれば、「なくても生きていけるもの」を削ぎ落とせたと言うこともできます。本当に大切なものだけが残り、人生がより良く濃縮されたように考えています。

できないことはたくさん増えましたが、人生で本当に大切なものを考えるきっかけとなった胃ガンの経験を、今では感謝すらしています

胃ガンのせいで落ち込んでいる方がもしいま読んでくださっているなら、この考え方が少しでも前向きな希望を生むきっかけになると嬉しいです。

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